2026

徳川慶喜 26.1.29(木)

fatde123

最近、中山道六十九次の本を読んでいる。非常面白い。いつかは歩いて走破してみたいと思っている。日本橋から板橋宿において、気になる場所があった。

徳川慶喜屋敷跡である。徳川最後の将軍である慶喜。

年(西暦)年号年齢出来事
1837年天保8年0歳江戸・水戸藩邸にて誕生(父:水戸藩主 徳川斉昭)
1847年弘化4年10歳一橋家を継ぎ「一橋慶喜」となる
1858年安政5年21歳将軍継嗣問題で敗北(井伊直弼により政治的失脚)
1862年文久2年25歳将軍後見職に就任
1864年元治元年27歳禁門の変後、政権中枢で実権を握る
1866年慶応2年29歳第14代将軍 徳川家茂が死去
1867年慶応3年30歳第15代将軍に就任
1867年慶応3年30歳大政奉還を実施
1868年慶応4年/明治元年31歳鳥羽・伏見の戦いで敗北、将軍職辞任
1868年明治元年31歳謹慎処分、駿府(現在の静岡市)で隠居生活
1872年明治5年35歳謹慎解除(引き続き静岡で生活)
1897年明治30年60歳東京・巣鴨の屋敷(旧徳川家屋敷跡)に移住
1902年明治35年65歳公爵に叙せられる
1913年大正2年76歳東京・巣鴨の邸宅にて死去

なぜ「巣鴨」だったのか

理由①:都心から適度に距離があった

当時の巣鴨は、

  • 東京市中心部(日本橋・麹町)から離れた郊外
  • 畑や林が多く、非常に静か

👉目立たず、騒がれず、干渉されない場所
これは慶喜の性格に完全に合致していた。

理由②:旧徳川家ゆかりの土地だった

巣鴨周辺には、

  • 江戸時代からの徳川家・旗本の屋敷跡が点在

👉
「新しい東京」ではなく、「かつての江戸の延長線」
慶喜はあえて“徳川色の薄い都心”を避けたと考えられる。

理由③:趣味に最適な環境だった

巣鴨は、

  • 広い敷地を確保しやすい
  • 騎乗・狩猟・写真撮影ができる自然環境
  • 自転車で走るにも向いていた

慶喜はここで

  • 写真の暗室を作り
  • 油絵を描き
  • 狩猟を楽しんだ

👉 巣鴨は **「元将軍」ではなく「近代人・徳川慶喜」**として生きるための場所。

巣鴨には4年間しか住まなかった

徳川慶喜が巣鴨に住んでいたのは、明治30年から明治34年までの4年間であった。

その後は文京区小日向に移る。その理由は巣鴨邸の直ぐ近くに鉄道ができるため、その騒音を嫌ってのことであった。

以上

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然吉
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